東京都高校野球OB連盟のホームページ特別企画として

加盟校の選手にリレートーク形式でインタビューを行う『終われない俺たちの夏』

記念すべき第1回は都立豊多摩高校OBの岡崎英敏さんです。

> まずは野球を始めたときの思い出から聞かせていただきました。

「野球を始めたのは小学生の時ですね。近所のクリーニング屋のおじさんが監督をやってるチームに誘われて、チームに入ればラーメンおごってやるぞ、みたいな不純な動機で(笑)。
でも、思い返すと練習ばかりしていたな。試合はたまに知り合いのチーム同士で連絡を取ってみたいな感じで。だから、今のようなちゃんとした公式戦は出てないですね。昔はそんなチーム、いっぱいあったんじゃないですか。ポジションも特に固定されたわけではなく、いろんなとこやりましたね。まあ当時から背も大きくて左投げだったのでファーストはやってたかな、多分。」

  豪快に笑いながら当時の思い出を語ってくれた岡崎さん。それでも学生時代は苦難の連続だったそうです。

「本格的に野球に取り組んだのは中学校に入ってからですね。そこそこ強いチームだったんですよ。顧問の先生も熱心で、いろいろ教えてくれましたね。それで中学2年の時に区大会で3位になって。

ところがその頃、僕の勉強の成績が悪くなってしまって、担任の先生にこっぴどくプレッシャーをかけられて、結局野球部を2年生で辞めることになっちゃった。いま思っても、悔しいし情けないし。それで、その時は高校に入ったら絶対野球またやってやろうって思ってましたね。」

> そして晴れて豊多摩高校に入学した岡崎さんは早速野球部の門を叩きます。

これから思う存分野球やるぞって意気揚々と野球部に入部したんです。ところが入学後すぐに校舎の改築があって、いきなりグランドが使えないんですよ。しかたがないから近くの企業のグランド借りたりしてね、それでもそんな環境じゃ練習もままならない。さらに夏の大会終わったら、新チーム発足のタイミングで、いきなり当時の2年生がそもそも5人しかいないのに1人を除いてみんな辞めちゃってね、もうなんなんだよって。で、そんな先輩たちが結局夏の大会直前に戻ってきて、試合に出たりして(笑)。おおらかと言えば聞こえはいいけど、まあいい加減なもんでしたね。

僕らの代は入学した時は多分10人くらいいたんだけど、最後まで残ったのは5人。ただその下の代が全然人数がいなくてね、最後の夏の大会もピッチャーできるやつがいないんです。本来なら3年生である僕らの中から誰かが投げるべきなんでしょうけど、誰もまともに投げられるやつがいなくて。結局、登板したのは入学したばかりの1年生。で、いきなり初球にデッドボールをぶつける立ち上がりであとはもう散々な内容です。結局、最後の大会も初戦でコールド負け。夏の大会なんて言っても、まったく燃えることなく不完全燃焼で終わってしまいました。」

> その後、大学、社会人と進む中で軟式野球をプレーすることはあっても硬式に触る機会はほとんどなかった岡崎さん。しかし、50歳を過ぎようかというときに思いもよらない話が舞い込みます。

「以前は豊多摩の野球部は正式なOB会は存在しなかったんです。でも、昔から豊多摩はOBの大学生が持ち回りで現役野球部の監督をやっていて、彼らを中心に‘’OB会‘’のようなつながりはありました。その会合に出席したときに、後輩のOBの大久保くんがOB会を正式に立ち上げて、マスターズ甲子園っていうのに出ませんかって話を提案してきたんです。」

> もう一度、母校のユニフォームを着て甲子園を目指して硬式野球ができる。岡崎さんはすぐにその誘いに乗りました。

「参加することにしたはいいけど、人数が揃わない。現役時代もOBになってもまた同じ悩みです。そのため始めは保谷高校との合同チームとして参加したんです。合同チームはそれはそれでいいもんですね。違うユニフォームでも野球は野球なんでなんとかなる。連携プレーがうまく決まるとなんとも妙な気分になりましたね。あれ!?違う学校とでもうまくやれるじゃんって。」

> 合同チームとして活動を続けていくなかで、OB同士のネットワークからマスターズのことを聞きつけ、豊多摩高校のメンバーも次第に増えていきました。

「はじめはまた硬式でやれるってことだけで嬉しかった。でも他校と試合してて、やっぱり単独チームとして出たいよなって思いましたね。だから大久保を中心に一回でも試合に来てくれたメンバーにまた来てくれよって声をかけて、少しずつでも参加してくれる人を増やそうとしてました。そのかいもあって若手も増えてきましてね。しかも高校卒業後に東京六大学や東都でやってたなんてメンバーも来てくれるようになって。一回りも二回りも下の後輩たちと、豊多摩のユニフォーム着て試合するなんて、現役時代は考えもしなかった。」

> マスターズに参加して、もう一度夢を追いかけることができたと話す岡崎さん。一番印象に残るシーンを聞いてみました。

「やっぱり今年のシーズン初戦で麻布高校に勝ったことですね。単独チームで参加するようになって、なかなか勝てなかった。新規加盟の学校も増えてきて、その学校もどんどん勝利を挙げていく中で、古参の中で唯一豊多摩だけが一度も勝てていない。毎年、勝つぞ勝つぞって言っててもなかなか達成できなかった。それが遂に勝てて本当に嬉しかったですね。東都リーグでも活躍してた黒田が一回に満塁ホームランを打って、後半の年長者も奮い立ちました。若手の活躍で、一気に流れを引き寄せて後半も押しきった会心の勝利でした。単独チームとしても初勝利ですけど、僕にとっても自分達の代では公式戦で勝ててませんから。本当に何十年越しの1勝でした。」

 

> 記念すべきウイニングボールは、メンバー全員の宝物になったそうです。

「マスターズ東京に参加するようになって、他校のOBとの交流も増えました。東京はどうしても硬式野球をやれる場所が限られてしまうので、合同練習もよく誘っていただきます。安田学園や日体大荏原、修徳など強豪校のグランドでも一緒に活動させていただいて、バッティングマシンを借りてバッティング練習させてもらったり。本当にありがたいですよね。強豪校のグランドでお互いにユニフォーム着てノック受けて。卒業後にこんな経験ができるなんて、幸せですね。」

 

> そう語る岡崎さん。最後にマスターズでの目標をたずねてみると。

「そりゃ、やっぱり甲子園にいきたい。この前も観客席までは行ったけど(笑)、ベンチには入れないから。マスターズでも道のりは険しいけど、それでも甲子園を目指して野球ができるのは何物にも代えがたいこと。甲子園行ったらどうするんだろ、野球辞めちゃうかな、いや一回出てもまた次も出たいし。ずっと目指し続けますよ。あと、実はもう一個あるんです。60歳を過ぎての柵越えホームラン。マスターズでも60歳以上で打った人はいないでしょ?狙いますよ!」



> そう少年のような顔で語る岡崎さん。熱い想いがいつか野球の神様に届く日が来ることを願っています。

 

次回は岡崎さんのご紹介で、都立武蔵高校OBの榎本啓二さんのインタビューを掲載予定です。

お楽しみに!